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最期に遺した言葉は「Good-bye」。ウォルト・ディズニーの歴史を振り返る

2016.12.26 Monday
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ディズニーの噂・裏技・裏話_ウォルト・ディズニー

「Good-bye(さようなら)」。最期の言葉を遺して世界を変えた1人の偉人が亡くなりました。ウォルター・イライアス・ディズニー(通称:ウォルト・ディズニー)。

「ディズニー」というエンターテイメントを築き、世界の人々を幸せにしてきたウォルト。彼はどんな人生を歩み、そして何が原因で亡くなってしまったのか。ウォルト・ディズニーの歴史を振り返ります。

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幼少時代:ウォルト・ディズニーの誕生

ディズニーの噂・裏技・裏話_ウォルト・ディズニーの赤ん坊時代
via:http://2.bp.blogspot.com

1901年12月5日、イリノイ州シカゴに1つの産声があがりました。鉄道員だったイライアス・ディズニーと妻のフローラの間に生まれた4番目の男の子。洗礼をした牧師のウォルター・パーの名をとり、ウォルター・イライアス・ディズニーが誕生しました。

少年時代:新聞配達をしていた小学生時代

ウォルト・ディズニーは小学生時代、毎朝3時半に起きていました。ウォルトの父イライアスが新聞配達業を始めた為、ウォルトは兄のロイと配達を手伝っていました。朝刊と夕刊を毎日給料なしで配達。少年時代から苦労していたようですね。

少年時代:学芸会でピーターパンを演じたウォルト

ディズニーの噂・裏技・裏話_ピーターパン

ウォルトは少年時代、兄と学校へ行く道で「ピーターパン」のポスターを見かけました。お芝居の一座の公演告知で、公演を見たウォルトはピーターパンの空飛ぶシーンに心を動かされました。

これをキッカケにピーターパンに憧れたウォルト。ついには自ら学芸会でピーターパンを演じてしまいました。夢を実現させる。ウォルトは幼い頃から行動力のある少年でした。

青年時代:ウォルト・ディズニー・カンパニー設立

ディズニーの噂・裏技・裏話_ウォルト・ディズニー

ウォルトは幼い頃から絵を描くことに興味があり、1911年、カンザスシティーへの引っ越しをきっかけに絵画教室で絵を学ぶこととなります。これがウォルトがアニメーションの道へ進む基盤となりました。

それから数年、成長したウォルトは赤十字救急部隊や広告会社への勤務を経て、1923年にカリフォルニアへ移住。兄のロイ・O・ディズニーと共に「ウォルト・ディズニー・カンパニー」を設立しました。

青年時代:ミッキーの誕生

最期に遺した言葉は?ウォルト・ディズニーの歴史を振り返る_1

1928年、ミッキーマウスが誕生しました。1928年〜1947年まで、ミッキーの声優は20年近くウォルトが担当していました。ウォルトはミッキーの生みの親でもあり、ミッキーはウォルトの人生そのものでした。

中年時代:世界初のカラー長編アニメ「白雪姫」の成功

白雪姫に登場する七人のこびと
(C)Disney

1937年に初の長編カラーアニメーションとして公開された白雪姫は、観客総立ちの大成功。「白雪姫」の成功なくしてディズニーの成功はありませんでした。

アニメーターとして大きな夢を実現させたウォルトでしたが、夢はこれで終わりではありませんでした。次の夢はテーマパークの建設。アニメーションよりもさらにハードルの高い夢に向け、ウォルトは動き出しました。

中年時代:ディズニーランドの誕生

最期に遺した言葉は?ウォルト・ディズニーの歴史を振り返る_2

アニメーション映画で成功したウォルトが次に実現した大きな夢、それはテーマパークの建設でした。実現までの道のりは険しかったものの、1955年7月17日、アメリカ・カリフォルニア州についにディズニーランドがオープン。53歳にして世界一のテーマパークを完成させました。

少年時代から行動力のあるウォルト・ディズニーでしたが、まさかテーマパークまで作り上げてしまうとは当時誰が想像したでしょう。

晩年:ウォルト・ディズニーの最期

1966年、当時64歳だったウォルトの人生に悲劇が起こります。ウォルトは首の神経が圧迫されるような感覚があったため、病院に検査入院。昔ポロで首を痛めことがあり、その古傷の影響と思われたものの結果は最悪でした。検査の結果は肺がん。治療も及ばず、順風満帆と思われたウォルトの人生でしたが、1966年12月15日にその生涯を終えました。

ウォルトは亡くなる前の闘病中、力を振り絞り1度スタジオを訪問しました。とても痩せて顔色も悪く、スタジオの社員達はウォルトの病状が想像以上に悪いと実感したそうです。ウォルトがこの日、去り際に言った言葉は「Good-bye(さよなら)」でした。いつもは「またな」としか言ったことがなかったのに。これがスタジオを訪れる最後の日だということを察していたのかもしれません。

死後:ウォルトの遺作公開

ウォルトの死から約1年。ウォルトの最後の遺作が公開されました。その作品はジャングル・ブック。ウォルトらしさが随所に見られる最期の作品。スタジオの社員は当時の気持ちをこう語ります。

「まるでウォルトから届いたクリスマス・プレゼントのようだった」。

ウォルトの生涯でウォルト・ディズニー・スタジオは100以上ものアカデミー賞にノミネートされ、合計48ものオスカー像を手にしました。ウォルトだからこそこれだけの偉業を成し得たのでしょう。ウォルトが亡くなってから50年。今もウォルトは人々の心の中で生き続けています。


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